部下の育成がマネジャーにとって重要な仕事であることを否定する人はいません。それでは、経営幹部からいきなりこう聞かれたらなんと答えますか?
「部下の育成のために具体的に何をしているか説明してほしい 」
これに対する筆者の回答は次のようになります。
「短期的にはフィードバックを積極的に行い、中長期的にはキャリアデザインをサポートしています」(記事「部下をヤル気にする最強のツール『フィードバック』」参照)
部下の育成という課題を時間軸で見ると、フィードバックのスコープは短期的なものとなります。なぜならば、ある特定の行動に対して意見を述べるものだからです。これに対して、中長期的な観点から部下を育成するのが本稿で取り上げるキャリアデザインなのです。
キャリアは上司と部下が気軽に語り合うべきものというのが筆者のスタンスです。本稿では、そのためのポイントと具体的な方法についてわかりやすく説明します。
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目次
1. キャリアの考え方
キャリアという言葉はみんなが知っていますが、その意味については漠然としたイメージしかないという人も多いと思います。それでは安心して部下とキャリアを語ることはできません。まずはキャリアの基本的な点について理解を深めます。
1-1. なぜキャリアを語る必要があるのか?
キャリアについて「よくわからない」と言うのには、真っ当な理由があります。それは日本の伝統的な雇用形態である長期雇用のためです。長期雇用(あるいは終身雇用)が前提とされていた時代において、ビジネス界に身を投じるということは、「就職」というよりは、「就社」と言った方が適当だったと思います。特に大企業ではその傾向が強かったと言えます。職業を選択するのではなく、会社という共同体に参画するということです。
そのため、社員の長期的なキャリアの面倒を見るのは、共同体である会社の大事な仕事だったのです。従業員は会社から命じられた人事異動の指示に従っていれば、安心して定年まで仕事ができました。キャリアのことは真剣に考えなくてもよかったのです。
しかし、今日では大企業も生き残りのために終身雇用を維持することが困難になっています。会社が従業員のキャリアの面倒を見きれなくなったということです。いよいよ自分のキャリアは自分で考えなければならない時代になったというわけです。
このような経済環境に対応して、2011年から大学でのキャリア教育が義務化されるようになりました。そのため、若手社員のキャリアに対する意識は、シニア世代よりも格段に高くなっています。キャリアは、世代間の認識ギャップが最も大きい課題の一つと言えます。「この仕事をやる意味が本当にあるのだろうか」、「果たして将来のために役に立つのだろうか」などという問題意識は、マネジャーが想像する以上に強いはずです。若手社員のキャリアの相談に乗ることは、マネジャーにとって非常に大事な仕事になっているのです。
1-2. キャリアとは何か?
キャリアを議論するためには、まず、キャリアという概念について明確にしておく必要があります。本稿では、日本のキャリア論の第一人者である神戸大学の金井壽宏教授による定義を採用することにします。
<キャリアの定義>
「成人になってフルタイムで働き始めて以降、生活(Life)ないし人生全体を基盤にして繰り広げられる長期的な(通常は何十年にも及ぶ)仕事生活における具体的な職務・職種・職能での諸経験の連続と、大きな節目での選択が生み出していく回顧的意味づけ(とりわけ、一見すると連続性が低い経験と経験の間の意味づけや統合)と将来構想・展望のパターン」。
金井壽宏 (2002). 働く人のためのキャリアデザイン PHP研究所 p.141.
この定義を参考にしながら、キャリアについての5つのポイントを見てみましょう。
① 仕事だけを対象とするのではなく、生活(人生)全般を対象とする
ビジネスに従事する期間は長期にわたります。また、その過程では経済環境の変化や家族の事情など個人の力では如何ともしがたい外的な制約も生じます。そのため、自分の人生という観点からキャリアの問題を考える必要があります。会社とプライベートを分けるというのが今風ですが、部下のキャリアを考える場合は、部下の人生までスコープに入れる必要があります。
② キャリアについて評価や意思決定をするのは自分である
人生の主役は自分自身です。したがって、どのような仕事生活を選択するかは自分自身です。マネジャーは上司として部下のキャリアをサポートしますが、キャリアに責任を持つのはあくまでも当事者である部下自身です。
③ キャリアは主観的な側面と客観的な側面の2つの視点で考える
キャリアには職種、職位、経験など他者が評価できる客観的な側面だけでなく、「自分らしく生きたい」というような主観的な側面もあります。キャリアについては、両者のマッチングという観点から考える必要があります。
④ パターンとしてキャリアを捉える
キャリアには理論的にあるべき姿というものはありません。自分自身の歩みを振り返って、そこから意味を見出すことで、これまでの歩みをパターンとして認識します。そして、それをベースにしてこれからの歩みを展望して行きます。事実としての職歴は一つしかありませんが、そこからは様々な意味やパターンを引き出すことができます。
⑤ キャリアは節目において考えればよい
キャリアは毎日考えるというものではありません。仕事生活においては外部要因や内部要因によって大きな変化が発生します。キャリアはそのときに考えればよいということです。
1-3. キャリアデザインを考える基本的視点
このような意味を持つ「キャリア」をどのように選択して行けばよいかというのが「キャリアデザイン」です。キャリアデザインを考えるためには、3つの基本的視点があります。
① 自己決定
② 相互依存
③ デザインとドリフト
① 自己決定
自己決定とは、キャリアを決めるのは会社や周りの人ではなくて、あくまでも自分だということです。自分で納得して決めるというのがキャリアデザインの基本となります。
実質的に会社の人事異動ですべてが決まるという伝統的なやり方は、キャリアデザインの考え方とは相容れないことになります。
② 相互依存
相互依存とは、キャリアは自分だけで決まるものではないということです。周囲の人からの期待、提供される機会、サポート、アドバイスが自分のキャリアの選択を左右するということです。
自分が「こうしたい」と希望していても、現実は自分の思い通りに決まるわけではありません。会社の事情や家族の都合も考慮しなければならないときがあります。キャリアを決定する責任はあくまでも自分にありますが、それは周囲との関係性から独立して決められるものではないということです。
③ デザインとドリフト
3つ目が「デザイン」と「ドリフト」という対概念です。デザインは、自分のキャリアをどのように設計し、節目においてどういう選択をするかを決定することです。文字通り、キャリアデザインの中心的なテーマとなります。
これに対して、ドリフトとは流れに身を任せるという意味です。キャリアは節目において意思決定をするものであって、毎日考えるものではありません。節目となるとき以外は敢えて流れに乗る(ドリフトする)ことで、楽しみながら仕事をしていけばよいということです。
キャリアを決めるのは自分です。これに対して、自分の思い通りには行かない現実があります。また、自分で決めるという姿勢には、自分の殻から抜け出せなくなるという独善の危険性もあります。例えば、営業などあり得ないと思っていた経理担当者が営業に異動したら才能を発揮して大活躍したという話は珍しいことではありません。だからこそ流れに身を任せて(ドリフト)、幸運に出会ったり、偶然を活かしたりする必要性も出て来るわけです。
このように、矛盾や対立を内包するタフな現実と折り合いをつけながら、自分の進路を決めて行くのがキャリアデザインの姿です。
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2. キャリアをデザインする方法
キャリアデザインを考える基本的視点として紹介した自己決定と相互依存は、それぞれ「内の視点」と「外の視点」ととらえることができます。
内の視点は、「こういう仕事をしたい」とか「こうなりたい」といった自分の内なる声を聴くことによって自分のキャリアの基盤を考えるということです。
これに対して、外の視点は、自分を取り巻く環境を把握して、環境の変化にどのように適応していけばよいのかを考えるということです。
ここでは、キャリア論の大御所であるマサチューセッツ工科大学のE・シャイン教授の考え方に基づいて、キャリアをデザインする方法について考えます。
2-1. キャリア・アンカーを考える
内の視点において基本となる概念がキャリア・アンカーです。アンカーとは船の錨のことです。波風に流されないように船を停めておくという意味から、キャリア・アンカーは生涯のキャリアを通して揺らぐことのない不動のものを指します。この概念を提唱したE・シャインはキャリア・アンカーを次のように定義しています。
<キャリア・アンカーの定義>
「キャリア・アンカーとは、あなたがどうしても犠牲にしたくない、また、本当のあなた自身を象徴するコンピタンスや動機、価値観について自分が認識していることが複合的に組み合わさったもの」
E・シャイン(2003)「キャリア・アンカー―自分のほんとうの価値を発見しよう」白桃書房 p.1
キャリア・アンカーを明らかにするためには、次の3つの問いについて深く考える必要があります。
- 自分は何が得意なのか?
- 能力や才能に関するもの
- 自分はいったい何をやりたいのか?
- 動機や欲求に関するもの
- どのようなことをやっている自分なら意味を感じ、社会に役立っていると実感できるのか?
- 意欲や価値に関するもの
これらについてどのような自己イメージを持っているかによってアンカーが決まります。
このうち注意しなければならないのは、①と②を混同しないことです。自分が得意なことをやると成果も出るし、周囲からの評価も得られます。このため、得意なこと=好きなこと、と思ってしまうことがあります。気をつけないと、自分を見失ったり、便利屋になってしまう危険性があります。例えば、英語が得意なので海外事業担当になったものの、実は人とのコミュニケーションが好きで英語が得意になったとしたら、人事や広報の分野でキャリアを追求した方が仕事の満足度は高くなるかもしれません。
経験の乏しい若手社員が自分のキャリア・アンカーを明確にすることは容易ではありません。また、深い洞察なしにキャリア・アンカーを安直にまとめても意味はありません。若手社員が納得のいくキャリア・アンカーを持てるように、この3つの観点から常に自分の内なる声を聴くように導くのがマネジャーの役割となります。
<コラム:アンカーのカテゴリー>
E・シャインはキャリア・アンカーを次の8つのカテゴリーに分類しています。
- 専門・職能別コンピタンス(スペシャリストタイプ)
- 全般管理コンピタンス(組織の長タイプ)
- 自立・独立(組織に依存したくないタイプ)
- 保障・安定(組織に依存したいタイプ)
- 起業家的創造性(起業家タイプ)
- 奉仕・社会貢献(才能よりも大義重視タイプ)
- 純粋な挑戦(冒険家タイプ)
- ライフスタイル(仕事よりも生活重視タイプ)
E・シャイン(2003)「キャリア・アンカー―自分のほんとうの価値を発見しよう」白桃書房 p.26
自分のアンカーを探すときに、このカテゴリーは手掛かりになると思います。
2-2. アンカーを見つける
キャリア・アンカーを自覚するためには、自分の過去を振り返ることが有効です。
例えば、「なぜこの会社に入ったのか」という問いを考えてみましょう。「やりたい仕事があったから」と即答できる人はあまりいないと思います。「たまたま採用されたから」という人が多いのではないでしょうか。「当時のイメージとまったく違うことを今はやっている」と愕然とする人もいるでしょう。でも、それでよいのです。
大事なのは、このような問いによって自分の過去を振り返ることです。キャリアとは「仕事生活の回顧的意味づけである」と定義しました。自分の過去を振り返って、その歩みの意味づけをすることが大事なのです。それによって自分のアンカーに対する理解を深めていきます。キャリアを歩みながら、自分なりの意味合いを後付けしていけばよいのです。
キャリアを回顧的に意味づけるということは、過去を振り返ってこれまでのキャリアをポジティブにとらえ、それを整理して積極的な意味づけをするということです。これまでの自分自身のキャリアをストーリーとして把握することと言ってもよいでしょう。ストーリーを作ることで、自分自身の将来に前向きになり、積極的にキャリアを展望することができるようになります。
これは「ナラティブセラピー」という心理学に基づいた心理療法に似ています。ナラティブとは「語り」という意味で、語ることで癒される、語ることを通じてより良い状態へと変化していくことができるというアプローチです。「人間万事塞翁が馬」という柔軟なスタンスで、心の中にあるどんな否定的な自己イメージをも、ポジティブな観点から整理して、積極的な自己イメージのストーリーへと書き換えていくことがポイントになります。
具体的には、次のような問いを自分自身にぶつけてみるとよいでしょう。これはキャリア・アンカーの3つの問い(才能・能力/動機・欲求/意欲・価値)に関連しています。
- 自分らしく生きていると実感できたのはどんなときか?
- 自分で選んだという自己決定の感覚があったのは何か?
- 創造性や知恵につながる経験をしたのはどんなときか?
- 仕事で一皮むけたと感じたのはどんなときか?
このような自問自答を繰り返すことで、次のことが明らかになってきます。
- どの時点でどのような「才能」や「能力」を身につけたのか?
- なぜそれをやりたかったのか?(「動機」や「欲求」)
- 自分がどのようなことに「意味」や「価値」を見出していたか?
こうして自分のキャリアのストーリーが徐々にでき上がっていきます。自問自答というやり方が難しければ、後輩からこれまでのキャリアについて語ってほしいと言われた、といった状況を想定してみるとよいでしょう。
2-3. キャリア・サバイバルを考える
内の視点であるキャリア・アンカーに対して、外の視点で考えるときに基本となる概念がキャリア・サバイバルです。
仕事を取り巻く環境は常に変化します。ビジネスパーソンはその中で生き延びていく必要があります。アンカーに基づいて自分らしく生きることは大事ですが、サバイバルできなければ肝心のキャリアを追求することもできません。周りからの期待はどのように変わっていくのか、それに対して自分の役割がどのように変わっていくのか、ということを認識しておかないと、本当の意味でその仕事を全うすることはできません。
「自分を取り巻く環境を分析して、自分の職務と役割を戦略的に考えて、見直していくこと」、これがキャリア・サバイバルです。それによって将来の職務に要求される知識やスキルを予測して、自分がどのように準備していくかを考えるのです。
キャリア・サバイバルは、「期待」、「能力」、「貢献」という3つの要素から考えられます。
① 期待
なんらかの期待があるから仕事の機会が生じます。周囲から何を、どれだけ期待されているのかということを認識する必要があります。
② 能力
期待に応えて成果を出すためには、どのような能力が必要なのかということを知る必要があります。それに基づいて、自分の能力を開発していきます。
③ 貢献
周囲から期待された成果を達成することで貢献することができます。仕事生活においては貢献がある限りサバイバルすることできます。
概念図で説明すると、周囲の期待と自分の能力が重なった部分が貢献となります。貢献を極大化することがキャリア・サバイバルの目指す課題となります。
(図表)キャリア・サバイバルの考え方
サバイバルという言葉には、環境に適応した種が生き残るというダーウィンの適者生存のイメージがあります。しかし、キャリア・サバイバルにはそれとは決定的に異なる条件があります。それは外部環境と仕事をする個人の間に、企業という組織が存在している点です。
企業は、そこで仕事をする個人が直接的に適応しなければならない環境です。同時に、企業自身も外部環境に適応しなければならない立場にあります。この両面性がキャリア・サバイバルにおける企業の役割を規定することになります。つまり、企業自身が外部環境の変化に適応してサバイバルするために、必要となる能力を持った人材を育成する動機を持ちます。そのため、企業は次のような人材戦略を考えることになります。
- 組織がこれから必要とする能力の規定
- 従業員の能力の現状把握
- 能力を開発するための学習プログラムの設定
- 能力にリンクしたキャリアパスの策定
したがって、企業で働く個人にとっての現実的なサバイバルの課題は、4. の会社が設定したキャリアパスに対応できるかどうか、ということになります。それによってキャリア・サバイバルの課題に対する具体的な取り組みが明らかになります。
2-4. キャリアパスを認識する
キャリアパスとは文字通りキャリアの道筋のことです。これによってキャリアという概念が目新しいものではなくて、昔から日本の職場に根付いているものであることが明らかになります。
例えば、鰻の調理人が一人前になるには俗に「串打ち3年、裂き8年、焼き一生」と言われています。これが典型的なキャリアパスなのです。会社で言えば、ある職位に就くまでにたどるべき経験や順序を指します。キャリアパスに従って進めばキャリアアップができる仕組みになっているので、キャリアパスにうまく対応できればサバイバルできることになります。
安全な登山のためには地図が必要不可欠です。地図を見せないで登山をさせる山岳ガイドはいません。キャリアの地図に相当するのがキャリアパスということになります。キャリアという山に挑戦する部下に、キャリアパスを使って登り方を指導するガイド役がマネジャーなのです。
キャリアパスの実例を紹介すると、筆者の場合は、旭硝子で化学品の営業マンとしてキャリアをスタートさせたのですが、工場で出荷業務(2年)、国内支店で販売活動(4年)、本社で事業管理(4年)、合計10年で一人前になるというのが当時のキャリアパスでした。
これはオフィシャルに規定されたものではありません。ただし、先輩からそのように言われたし、ほとんどの先輩もそのような経歴を持っていたので、誰の目にも明らかでした。さらに上司からは、「10年は会社が面倒を見る。そのあとは自己責任だ。会社はもう面倒を見ないからな」と言われたことを今でも覚えています。
このようなキャリアパスを見て、いずれ本社で世界を相手にするようになることがイメージできたので、英語を勉強しておこうという気にもなりました。もっとも、工場は2年で卒業することがわかっていたので、高圧ガス販売主任者の資格試験には、勉強に身が入らず失敗しました。キャリパスが能力開発に影響を与える見本とも言えます。
このようにキャリアパスが明示されると、目標が見えるので、部下の方から勝手に能力開発の努力をするようになるという利点があります。
(図表)営業のキャリアパスの例
キャリアパスに関するマネジャーの大事な役割は、「なぜそのようなキャリアパスになっているのか」について、部下に説明することです。それは仕事の意義を部下に認識させることになるからです。
誰しもが若手時代に「なんでこんなくだらないことやらなければいけないんだ」と感じたことがあると思います。筆者も、「技術屋でもない自分がなんで田舎の工場勤務なんだ」と文句ばかり言っていたようです。見るに見かねたのでしょう。あるとき先輩から「もし工場を知らなかったら、お前は三菱商事(旭硝子も三菱グループ)の営業マンとどう違うんだ。お前はメーカーの営業マンになるんだろ」と諭されて、ようやく工場勤務の意味を理解したという思い出深い経験があります。キャリアパスが明確だったので、腹落ちしたというわけです。
会社がキャリアパスを明示していない場合は、マネジャーが部下のために用意しなければなりません。その際のキーワードは「一人前」です。自分の会社では一人前になるためにどのようなポジションをどのくらい経験しなければならないかということです。それは、成功している先輩社員がどのような経歴を持っているか、ということからも推定できます。どんな会社でもなんらかのパターンやイメージはあるはずです。それを踏まえて、部下の参考になるようにキャリアパスをモデル化するのです。
キャリアパスの目的は、将来のキャリアについて手がかりとなる情報を部下に提供することにあります。したがって、厳密に設定しなくてもOKです。また、頂上に至る道筋は幾通りも考えられるので、神経質になる必要もありません。筆者のような簡単なモデルでも十分だと言えます。
部下が歩んでいるのはどのようなキャリアなのか、今はどこにいるのか、これからどのようなキャリアを選択することが可能なのか、いつごろ節目を迎えるのか。このような大事な話を部下とすることがマネジャーには期待されますが、それはキャリアパスが明確になっていて、はじめて可能になるものです。
キャリアパスに関連して、マネジャーの方からよく聞かれることがあるので、最後に触れておきます。それは、「部下の希望するポジションを与える権限が自分にはない。キャリアパスの話をしても、逆に部下から失望されるようにならないか」ということです。
これについてはまったく心配無用と言えます。まず、マネジャーに権限があるかどうかは部下もよくわかっています。だから、そのような非現実的な期待はしません。自分が若手社員だったときに上司にそんなことを期待したかどうかを思い出せば十分でしょう。
さらに言うと、ワールドカップのピッチに立ちたかったらポジションは11しかありません。ポジションは奪いに行くのがプロの世界の掟です。部下にはプロの世界というものを認識させればそれで十分でしょう。
3. キャリアデザインを実践する
キャリアデザインの考え方に基づいて、職場でキャリアデザインを実践するとはどういうことなのか。その具体的な方法について説明をします。
3-1. キャリアデザインと仕事生活
デザインとドリフトという視点から、キャリアデザインが実際の仕事生活とどのように関わっていくかを見てみましょう。
今の仕事が順調で、そこに違和感がなければ、楽しみながら仕事に打ち込めばよいでしょう。その過程で、新たな刺激や将来に影響を与える出会いに遭遇することもあるでしょう。
しかし、そのような幸福なドリフトの状況は長くは続きません。転勤や昇格のような他律的要因、あるいは、ステップアップしたいというような自律的要因から、人は必ず節目を迎えることになります。
そのときに自分のこれまでの歩みを振り返り、そこから将来を展望して、直面する岐路においてこれからの進路を選択します。つまり、デザインをします。
デザインをすることでキャリアの目指す方向性が明確になり、ドリフトすることでキャリアの可能性を拡げることができるというわけです。
このようなキャリアの展開について、神戸大学の金井教授は、キャリアのトランジションサイクルモデルを提唱しています。それによると、時間軸で見た場合、キャリアはデザインとドラフトによって安定期と移行期という2つのステージに分解されます。この2つのステージがサイクルとなってキャリアが展開して行くのです。
ステップ1
「キャリアに大きな方向感覚を持つこと」からサイクルが始まります。方向感覚は夢や自己実現のためのビジョンと言ってもよいでしょう。
ステップ2
何らかの節目を迎えて、次に進むべき道を選択するステージを迎えます。キャリアをデザインするということです。方向を確認できても選べる道が1つとは限りません。そこで、キャリア・アンカーの問いを自問自答したり、外部環境や周囲の期待を分析したりしながら、進路を選択します。
ステップ3
選択した進路に対して実際に行動するステージに入ります。自分で選んだ山の頂上を目指して、脇目も振らず必死に頑張る時期と言えます。
ステップ4
次の節目を迎えるまでの安定期に入ります。このステージでは偶然の出会いも取り入れながら、自分の選択したキャリアを楽しみながらドリフトします。頂上で絶景を楽しんだり、下り道では周りの景色を楽しみながら歩むこともできます。しかし、いずれ物足りなさを感じて、また次の山に挑戦をしたくなります。
(図表)キャリアのトランジションサイクルモデル
このようなステップを繰り返して進んでいくのがキャリアです。このモデルのポイントは、節目にしっかりとデザインするからこそ安定期のドリフトにおいて価値ある出会いや発見ができるということです。そのため、キャリアデザインにおいては節目を自覚することが重要になります。
節目には明らかなものと、必ずしも明らかではないものがあります。明らかなものとしては、就職、異動、転勤、昇進、転職といった仕事上の変化が挙げられます。家庭においては、結婚、出産、別離、身内の不幸といったことがあり得ます。このような明らかな変化が引き金になって、誰もがキャリアについて考えざるを得ない時があります。
注意が必要なのは、目に見えない節目です。例えば、もっと成長したいという自分の内なる声などが挙げられます。本当は節目を迎えているのにそれに気が付かないとキャリアアップの機会を逃がしてしまうことになります。そこで、節目を自覚するためのポイントを挙げてみます。
節目の自覚として、まず、危機が挙げられます。病気や失業のように目に見えるもの以外に、焦燥感や行き詰まりを感じるようなときも危機に該当します。
それとは逆に、ゆとりがあるときも節目になることがあります。なぜならば、ゆとりがあるからこそ予期せぬ出会いや偶然の発見があるからです。安定した状況に飽きて、敢えて変化がほしいという場合もあります。
その他に、メンターの声があります。メンターは手本になったり、相談に乗ってくれる人ですが、自分より先に節目を迎えた先輩などを含めて広くとらえればよいでしょう。自分が経験しているだけに、後輩が節目を迎えているかどうかがわかるものです。「今が大事な時期だ。これを乗り越えたら一回り大きくなれるぞ」と先輩から言われたことがある人もいると思います。
当然のことながら、年齢も節目になります。年齢と共に能力も体力も変化するからです。この変化は個人差が大きいとも言えます。
節目を見逃すことは成長するチャンスを見逃すことにもなります。そのため、マネジャーは、部下が節目を迎えているかどうかについて、絶えず気を配る必要があります。また、折に触れて、「節目を迎えているのではないか」と部下が自問するように促すことが望まれます。
3-2. 運を味方につける
実際のキャリアは自分がデザインした通りにはなりません。若手社員がシビアな現実に直面して、どのように対処してよいか悩むのは自然なことです。そのようなときにマネジャーはどのようなアドバイスをすればよいでしょうか。
まず、事情はどうであっても自分に与えられた仕事に打ち込んでみるように指導しなければなりません。どこの世界でも、最低限の努力をしないことには何も始まりません。このような「良いガマン」をする過程で、自分の能力や動機を見出すことがキャリアの旅の出発点となります。さらに、そのような地道な心がけが幸運を呼ぶという経験則を、多くのマネジャーの方が実感として持っていると思います。
また、明るい将来が見えているからこそ我慢ができるというのが人間の本性です。したがって、魅力的なキャリアパスを部下に見せることもマネジャーには期待されます。
ドリフトしている最中に起こる偶然の出来事を味方につける術を部下に教えることも、マネジャーの大事な役割になります。それについては2000年に白川英樹氏がノーベル化学賞を受賞したときに話題になった「セレンディピティ(serendipity、ふとした偶然をきっかけに幸運をつかみ取ること)」が参考になります。これはセレンディップ(現在のスリランカ)の3人の王子が冒険旅行を命じられて、綿密な計画を立てて出発するのですが、いざ旅に出ると想定外の出来事で散々な目に遭います。しかし、王子たちは思いもかけぬ経験をしたことで知恵を身につけることができて、その知恵でもって祖国を難局から救ったというお話です。
これをキャリアに当てはめると、あらかじめデザインをしたうえで、突然訪れる偶然の出来事を積極的に活用していくということになります。チャンスが来たら何でも受け入れろということではありません。ドリフトの恩恵を受けるには、自分が目指したい方向性(夢、希望、信念)を持っていることが不可欠です。それがなければ流されるだけになってしまいます。しっかりしたデザインという準備があってこそ、ドリフトしているときに幸運の女神が微笑んでくれるというわけです。
キャリアデザインは、自分ではコントロールできない現実と向き合わなければなりません。そうすると、どうしても運という要素が無視できなくなります。運もコントロールできるものではありませんが、それでも運を呼び込む姿勢は大事だと思います。将棋の元名人の米長邦雄は、「トップクラスの棋士の間に実力の差はない。だから、実力だけで勝つことは絶対にできない。最終的には、幸運の女神に微笑まれるどうか、で勝負は決まる」と言っています。そして、タイトルホルダー(=女神に微笑まれた人)の観察を通して、「幸運の女神に微笑んでもらうための条件は、謙虚さと笑いだ」と説いています。
これをキャリアデザインに当てはめると、驕ることなく、失敗を恐れずに何事も受け入れて、どんな出来事の中にも意味や価値を見出す楽観的な姿勢が偶然を味方につける秘訣ということになるでしょうか。
3-3. マネジャーにとってのキャリアデザイン
これまで部下のキャリアデザインという観点から説明をしてきましたが、最後に、マネジャーにとってのキャリアデザインという観点から、筆者の関心事を述べます。
2年前に筆者が日本を代表するある大企業で調査したところ、自分の上司をキャリアの相談相手とみなしていない若手社員が多いという残念な結果が判明しました[1]。このような上司と部下の関係は、お世辞にも健康的とは言えません。
また、少々観点が異なりますが、キャリアデザインを部下と語ることには、マネジャーにとって今日的な意味もあります。居酒屋で上司と部下が仕事の進め方やこれからの身の振り方の相談、会社の将来からの社内のゴシップに至るまでワイワイ話し合うという日本の伝統的風習は、デジタル革命によって大きく変わりました。
今やチーム内のちょっとしたやりとりもメールで行われるようになっています。それに伴って「部下との会話がなくて困っている」という相談をマネジャーの方から受けることが多くなりました。そこでお勧めできるのがキャリアの話です。将来のキャリアに対して関心が高いのが若手社員の特徴です。キャリアデザインはマネジャーが部下と会話をするときの鉄板ネタと言ってもよいはずです。
そのためには、自分のキャリアのストーリーを部下に伝えればよいと思います。唐突感が気になるのであれば、「これは君のキャリアデザインが目的だ」と言えばよいのです。
部下が上司の自慢話に興味がないことは、昔を思い出せばわかると思います。お勧めしたいのは、自分の失敗談や敗戦記です。リーダーが自らの弱さを見せることは組織の雰囲気をよくするので、非常に効果的です。(記事「リーダーになるすべての人に知ってほしい チームビルディングの極意」参照のこと)
昔はプロ野球が上司と部下の共通の話題でしたが、これからはキャリアデザインが共通の話題です。部下のキャリアデザインにとって参考になる、深い洞察に満ちた失敗談を披露できるのは、優れたマネジャーの条件の一つと言えるでしょう。
キャリアデザインについての締めくくりとして、筆者が衝撃を受けた出来事を紹介します。今から20年ほど前に日本のハーバードのMBAの同窓会が優れた経営者に賞を授与するというイベントがありました。第一回目の受賞者に選ばれたのが稲盛和夫氏でした。たまたま友人に誘われて授賞式での稲盛氏の受賞スピーチを聞いたのですが、そのときに次のような話をされて、聴衆の度肝を抜いたのです。
「みなさんはアメリカで最新の経営理論を学んで来られて、それは結構なことです。しかし、本当にビジネスをやろうとしたら、それだけではとてもできるものではありません。『人はなぜ働くのか?』この問いに答えられないようでは、とても人を動かすことなんかできませんよ」
部下のキャリアをサポートする立場にあるマネジャーとして肝に銘じておきたいアドバイスだと思います。
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4. まとめ
キャリアデザインは、アンカーとサバイバルの観点から行います。両者はキャリアデザインを異なる視点から見たものです。
- アンカーはキャリアに対する個人のニーズを明らかにします。サバイバルはキャリアに対する組織のニーズを明らかにします。
- アンカーは自分の成長に関する課題を明らかにします。サバイバルは環境への適応に関する課題を明らかにします。
- アンカーは長期にわたるキャリアの基盤となるものを問います。サバイバルは変化する外部環境を把握して今をスマートに歩む方法を考えます。
- 生き残るためだけに仕事をするわけではありませんが、生き残れなかったら自分らしく生きることもできません。したがって、アンカーとサバイバルは補完的な関係にあります。
- 自己実現や自分らしさというキャリア・アンカーに基づいた主観的基準と、周囲からの期待に応えたり、組織に貢献するといったキャリア・サバイバルに基づいた客観的基準をバランスよく満たしていることが実り豊かなキャリアであると言ってよいでしょう。
仕事が順調でそこに違和感がなければ、様々な出会いも楽しみながら仕事に打ち込みます。しかし、そのような幸福なドリフトは長くは続きません。様々な他律的要因、自律的要因から、人は必ず節目を迎えます。そのときに自分のこれまでの歩みを振り返り、そこから将来を展望して、直面する岐路においてこれからの進路を選択します。デザインをすることでキャリアの目指す方向性が明確になり、ドリフトすることでキャリアの可能性を拡げることができます。これがキャリアデザインです。
[1]40名の管理職の部下の方々へ、キャリアについて上司と「 1(相談する)~7(相談しない)」のスケールでアンケート調査を実施。中間値(どちらとも言えない)の4に対して、回答結果の平均値は4.6。
<参考文献>
■田路則子・月岡亮(2008)「キャリアデザイン」(ライトワークスビジネスベーシックシリーズ)ファーストプレス.
■E・シャイン(2003)「キャリア・アンカー―自分のほんとうの価値を発見しよう」白桃書房.
■E・シャイン(2003)「キャリア・サバイバル―職務と役割の戦略的プラニング」白桃書房.
■金井 壽宏(2002)「働くひとのためのキャリア・デザイン」PHP研究所.
■米長邦雄(1993)「運を育てる」祥伝社.