グローバル競争の激化、テクノロジーの破壊的な進化、ここに来てのコロナ禍と、今日のビジネスパーソンは、まさにVUCA(Volatility:変動性、Uncertainty:不確実性、Complexity:複雑性、Ambiguity:曖昧性)の中にいます。
想定不可能な事態が次々と襲ってくる状況の中で対応を求められるビジネスパーソンはどうしたらよいのでしょうか。このタフな問いに対する有力な解が実はユーモアにあるのです。
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目次
1. ユーモアについて
ユーモアとは何かを定義することは困難だというのが学会のコンセンサスのようなので、まずは常識的なイメージでとらえればよいでしょう。つまり、「可笑しみ」やそれに伴う「笑い」といったことです。
ただし、可笑しいことや笑いのすべてがユーモアではないという点に注意が必要です。例えば、ドナルド・トランプのスピーチは支持者の笑いを大いに誘いますが、その特徴は相手をこき下ろすことによって生じています。
コロナ対策として率先してマスクをしている対立候補のジョー・バイデンに対しては「彼が気に入っているのならいいんだよ。でも、マスクをするなら何のために大金を投じて美容整形の手術をしたのかな」と揶揄します。相手のネガティブなところを突いてからかったり、馬鹿にしたりするのです。
このような言わば「上から目線」の笑いはユーモアとは呼びません。ユーモアはその逆です。つまり、相手よりも自分が下手に出ることで生じる笑いです。言い方を変えると、相手に対するリスペクトを伴った笑いということになるでしょうか。リスペクトする相手より自分の方が下という自己認識は健全だと思うのです。
同じ大統領選を例に取れば、ジョージ・ブッシュ(父)がその昔シカゴにキャンペーンに来た時に、「勝つためにマイク・ディトカ(シカゴ・ベアーズをスーパーボール・チャンピオンに導いた猛将)にコーチをお願いしたかったけど、多忙ということで諦めざるを得なかった」と言って笑いを誘ったケースがあります。
トランプには相手に対するリスペクトがありませんが、ブッシュにはリスペクトが感じられます。この違いがユーモアにおいて決定的に重要だと言えます。
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2. なぜユーモアが必要になるのか?
ビジネスパーソンにとってユーモア力が大事なスキルになると考える背景には、テクノロジーの破壊的進化があります。
ビジネスの課題に対処するためには、2通りのアプローチがあります。第一に、経験です。場数を踏むことで力を付けるのです。第二に、学習です。ビジネスの理論という武器を使いこなせるようになることで力を付けるのです。
未来のビジネス環境が過去の延長線上にあれば、いずれのアプローチも有効でしょう。ところが、目下のテクノロジーの破壊的な進化を見ると、これからのビジネスの環境は非連続的に変化し続け、それを予測することは人知を超えていると考える方がリーズナブルでしょう。
例を挙げるなら、「物心ついたときからインターネットと共に育ったZ世代の行動形態やニーズを管理職のあなたは予測できますか?」ということです。
経験も学習も役に立たない未知の事態に対応するためには、どうすればよいでしょうか。論理的な帰結として、運を味方に付けるということしかないはずです。
運というとオカルト的だと感じる人もいるかもしれませんが、マキャベリ[1]は君主(つまりリーダー)に必須なものとして、「ヴィルトゥ(技量)」と「フォルトゥーナ(運)」の2つを挙げています。塩野七生が取り上げたチェーザレ・ボルジア[2]にはヴィルトゥはあったけどフォルトゥーナがなかったということになります。
政治とビジネスは同じではありませんが、リーダーシップという観点からはさほど違いはないはずです。ヴィルトゥに頼れないのならフォルトゥーナに頼るしかありません。そうすると、運を引き込むためにどうしたらよいかということが課題になります。そこにユーモアが関係してくるのです。
3. 運について
運というのは定義ができなくても、みんなが分かっている概念と言えるでしょう。定義が難しいのでアカデミックな研究の対象にはなりませんが、存在する以上、運について真剣に考える人はいます。
その中で筆者の印象に残っているのが米長邦雄と幸田露伴です。米長邦雄は将棋の元名人で、幸田露伴は言わずと知れた文豪です。運についての二人の卓見を見てみましょう。
米長邦雄はトップ棋士として長きにわたって勝負の世界でしのぎを削る中で、運という課題を発見したのです。将棋というのはゲームのルールが客観的で公正、明確なので、先輩だから後輩に勝てる、富者だから貧者に勝てるということはありません。
そのため、若い頃の米長は実力のある者が勝つと信じて、研鑽を積んでいました。ところが、長らく勝負の世界に身を置いていると、A級リーグに所属するようなトップクラスの棋士同士に実力の差などないと思うようになったのです。
そして、実力に差はないのに、片やタイトルが取れる棋士がいて、片やタイトルを取れない棋士がいるのはなぜなのか、という問いを立てるに至りました。そうして米長のたどり着いた答えが「運」だったのです。
つまり、幸運の女神に微笑まれる棋士が勝ち、微笑まれない棋士が負けるということです。そこから、幸運の女神に微笑まれる棋士の特徴は何かをリサーチし始めます。タイトルホルダーの棋士の家を訪れたり、その両親に会って育て方を聞いたりもしたそうです。
その結果、そこには謙虚さと笑いがあることを米長は発見します。タイトルを取るような棋士はみんな謙虚で笑いがあるということです。幸運の女神は謙虚で笑いのある人が好きなので、そういう人に微笑むのです。
さて、謙虚さ×笑い=[ ? ] この答えは何になるでしょうか。そうです、ユーモアです。謙虚さの本質には、リスペクトがあります。相手をリスペクトすればこそ、自分はまだまだ下だと思えるので謙虚になれるのです。この謙虚さに笑いが加わることで、強さが生じるところがユーモアの大事なところです。
ただ単に相手より下ということであれば、謙虚さを通り越して、卑屈あるいは負け犬といったネガティブなマインドに陥る危険性があります。しかし、そこに笑いがあると、負け犬になることはないのです。なぜなら、心の余裕がなければ笑いは生まれないからです。
第二次世界大戦において、ロンドンはナチス・ドイツから激しい空爆を受け、甚大な被害を受けました。そのときに、ハロッズ(ロンドンを象徴するデパート)も出入り口を大破されたのですが、爆撃の翌日に「お客さまのために本日から出入り口を拡張しました」という案内とともに営業を再開したのです。軍事力ではナチス・ドイツの下になったイギリスですが、ユーモアによってマインドは負けていないことを証明したのです。
4. ビジネスに対するユーモアの効能について
それでは、なぜユーモア(=謙虚さ×笑い)がビジネスで有効なのかについて検討してみましょう。
ここでは、「解き方が分からないときは背理法[3]」という高校の数学で習った教えを参考にして、ビジネスにおいて未知の事態に直面したときの最悪のシナリオを考えてみます。
それは、過去の成功体験に裏付けられたやり方で自信満々に対応することでしょう。もちろんそのやり方が有効であれば、これは最善のアプローチとなります。しかし、破壊的なテクノロジーがもたらす未曾有の事態に対しては有効でないのが普通です。そうするとどうなるでしょうか。
まず、自信満々なので、やり方がフィットしていないことに気付くのが遅れます。また、人間には自分を正当化する傾向があるので、成功体験に基づいた自信満々のやり方をなかなか否定できないはずです。気が付いたときには万事休すとなるのです。
難しいのは、自信と勇気の関係です。未知の事態に恐怖を覚えるのは人間として自然な反応です。自信がなければ挑戦よりも逃避を選択してもおかしくありません。そのため、自信があることはよいことです。自信があるから挑戦する勇気が湧くのです。
しかし、自信は容易に過信に至るというのも人間の性です。結局のところ、その傲慢さが未知の事態に対応するときに命取りとなるのです。
これに対して、ユーモアがあればどうなるでしょうか。まず、謙虚さによって過信を防ぐことができます。過信がなければ、潜在的な問題に対する意識がシャープになります。その結果、致命傷を負う可能性が少なくなるはずです。
また、笑いが困難に立ち向かう勇気を与えてくれることでしょう。
そもそも人知を超えた未知の事態に対応するわけですから、誰にも妙手は分からないのです。分かるはずがないのに妙手を望むというのは意味がありません。つまるところ、過信による悪手を打たないようにして、幸運が訪れるように努めるのが賢明な態度ということになるのです。
5. 運との付き合い方について
ユーモアによって運を引き寄せたとしましょう。そこで話は終わりません。運とどう付き合うかという課題が残るのです。これについて論じているのが幸田露伴です。
露伴は運とは言わず、福という言葉を使っています。ニュアンスの違いはありますが、意味としては同様です。船を出して追い風だと喜び、向かい風だと嘆くけれども、風そのものは中立的です。
幸福・不幸福というものも風と同じで、単なる主観的判断に過ぎないのだけど、それでも福を得る人とそうではない人がいることは事実であって、それを観察すると、両者の間には自ずと違いが見られると露伴は言います。そうして導いた結論が有名な「幸福三説」です。運と付き合う3つの鉄則ということです。
第一が、惜福です。惜福、つまり福を惜しむとは、福を使い尽くしてしまわないことです。幸運にも大金を手に入れたとして、それをすぐに浪費してしまうのが惜福の工夫のない人になります。享受した福を使い尽くさずに、これを冥々茫々(めいめいぼうぼう)たる、つまりVUCAの運命に預けておくのが福を惜しむことになります。
徳川家康は豊臣秀吉と比べて器量は劣っていたかもしれないが、惜福の工夫においては数段も勝っていたと露伴は言っています。
第二が、分福です。分福とは、自分の得た福を他人に分かち与えることです。人に福を分け与えれば、人もまた自分に福を与えるようになる。そうならなくても、自分に福が到来するように祈ってくれる。そのような人望のあるところに福が到来するのは天意だと露伴は言います。
徳川家康は惜福の工夫において豊臣秀吉に勝っていたけれども、分福においては秀吉に遠く及ばなかったので、大功を遂げるのに秀吉よりもずいぶんと時間がかかったというのが露伴の見立てです。惜福はあくまでの個人の範疇に留まりますが、分福は衆人の力によってより大きな福として返ってくることになります。
第三が、植福です。植福とは、人の幸せになるようなモノ、情趣、智識といった福を増やすことを指します。人類の幸福というのは、植福の精神や作業を源としています。われわれが享受する福は先達の植福のおかげです。したがって、植福の工夫をしてはじめて人は価値があると言うべきだというのが露伴の見解です。
露伴流に言えば、テクノロジーを原動力として経済成長を続ける一方で、わずか1%の人が30%の富を独占しているアメリカの社会は、植福はしているものの、分福を怠っていることになります。
運というものに対して自らの努力を怠ってはならないというのが幸福三説のメッセージです。露伴は運とユーモアの関係については直接語っていません。しかし、つまらない事までよくできて、しかも謙遜していられるのは聖賢の態度であると、謙虚さの価値を強調しています。
また、人はなるべく「やわらかみ」と「あたたかみ」とを持ちたいもので、そのような人の周囲には、花は美しく笑い、鳥は高らかに歌う情勢がある、とも言っています。福に恵まれる人とユーモアには親和性があると言えるのではないでしょうか。
6. 大人の対応について
これまでビジネスの外部環境に注目しましたが、次に内部環境にも目を転じてみましょう。今日の職場は、内部統制、コンプライアンス、ガバナンス・・・とアメリカ発の締め付けがきびしくなる一方です。
一昔前であれば、会社がいくら注意してもコントロールする術がないので放し飼い状態にならざるを得ませんでしたが、今日ではITによってマイクロマネジメントが可能になって来ています。その結果、規則という正義が横行するようになっているように感じます。規則違反はすぐにバレて、ペナルティが課せられます。
日本の社会は少数派(違反者)に冷たいこともあって、正義党の勢力は増すばかりです。その結果、「甚だしく正邪を語れば人をして狷介偏狭ならしむる(正・不正を追求しすぎるとギスギスするようになる)」と露伴が警鐘を鳴らしているのですが、そのような状況になりつつあると危惧しています。
もちろん、規則を守ることが悪いわけではありませんが、民族的多様性があるアメリカでは規則による統制がプラスに働いても、同質性の高い日本も同じという保証はありません。ビジネスはあくまでも結果です。日本企業が富の創出において苦戦を強いられているのであれば、内部環境に問題があると考えるのも暴論とは言えないはずです。
ギスギスした雰囲気を打破するためにはユーモアが有効であることは論をまたないでしょう。ことビジネス組織に限って言うと、規制緩和は期待できません。規制強化を前提に「やわらかみ」と「あたたかみ」を持って人に接することが必要になります。そのためには、ユーモアが強力な武器になるでしょう。
最近ではほとんど聞かれることがなくなったビジネス用語に「大人の対応」というのがあります。規則の奴隷となって社内警察の片棒を担ぐのは大人の対応ではありません。規則は自分たちのために奉仕するものという認識をもって規則と付き合うのが大人の対応です。
率直に言えば、そこにグレーな部分があるのは確かです。しかし、ユーモアがあれば幸運の女神様も少々のことは大目に見てくれるのではないでしょうか。
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7. まとめ
現在の人間の能力では将来のビジネス環境を予測することは不可能です。経験も理論も通用しないことが明らかである以上、運を味方に付ける以外に方法はありません。
運を科学的に捉えることは難しいかもしれません。しかし、運のいい人がいる一方で、運の悪い人がいるという厳然たる事実を否定することはできません。そして、運のいい人と運の悪い人を観察すると、両者の間には自ずと違いが見られるのです。
運を引き寄せるためには、謙虚さと笑いが大事になります。どうやら、幸運の女神様は謙虚さと笑いがある人がお好きなようです。ユーモアというのは謙虚さと笑いで構成されています。したがって、誰も正解を知らない未知なるビジネス環境に対峙しなければならないビジネスパーソンにとって、ユーモアが大事なスキルとなるのです。
[1] イタリアのルネッサンス期の政治思想家で「君主論」の著者。目的のためには手段を選ばないというマキャベリズムの元祖。
[2] 塩野七生『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』、新潮文庫、1982.
[3] ある命題を偽と仮定して、そこから矛盾を導くことによってその命題が真であることを導くこと
参考文献
幸田露伴『努力論』、岩波文庫、2001.
米長邦雄『運を育てるー肝心なのは負けたあと』、クレスト新社、1993.